実際の「漢字の本来の読み方」①

ほんとうは怖い 漢字の本来の読み方

  前回の記事のおまけとして,「ねとらぼ」であげられた漢字(列)の本来の読みを書いていきたいと思います。

  EMC 音の出典としては主に《広韻》を,日本語漢字音の出典としては《漢辞海》を使います。EMC 音ははじめ反切*1と隋拼*2であげますが,以降は隋拼のみで記述します。

  なお,いくつかの漢字について主に呉音が《漢辞海》に載っていないこともありますが,それについては EMC からの推定で導出し,その音には「*」をつけました。

 

  前回から引き続き強調しますが,「本来の読み」なんてもの大して意味はありません。 「へぇそうなんだうけるね」くらいの心持ちで読んでくださいな。

 

 

「重用」

⟨重⟩

直容切 dryoŋ,呉音 ジュウ,漢音 チョウ
直隴切 dryóŋ,呉音 ジュウ,漢音 チョウ
柱用切 dryòŋ,呉音 ジュウ,漢音 チョウ

⟨用⟩

余頌切 jyòŋ,呉音 ユウ,漢音 ヨウ

 

  ⟨重⟩ には EMC 音が 3 つあり,それぞれ違う意味を持ちます。漢字の中には,この ⟨重⟩ の様に,それぞれ意味の違う複数の音を持つことがあります。これを「破音字」や「破読字」などと言います*3

  一方で,日本語漢字音の呉音、漢音、慣用音などの様に,それら複数の音に意味の違いが無いものもあります。それぞれの意味が異なるかどうかに関わらず,単純に漢字が複数の音を持つ場合,これを「多音字」や「多読字」などと言います。

  念のためですが「破音字⊂多音字」です。意味が違わないのだけを指す言いかたは知りません。

 

  さて,「重用」についてですが,本当なら ⟨重⟩ が破音字のために,この「重」が dryoŋ/dryóŋ/dryòŋ のどの言葉(音+意味)なのかを考えなければなりません。しかし,これそれぞれ平声、上声、去声と声調が違うだけなので,幸いにもどれであっても日本語漢字音は呉音がジュウ,漢音がチョウとなり,この作業は飛ばすことができます*4

  ⟨用⟩ は単音なので特に考えなくても大丈夫です*5

  そして,本来の日本語漢字音は強引な解釈をすれば漢音なので,「重用」の本来の読みは「チョウヨウ」である,ということになります*6

 

  ところで,たまに「本来『ジュウ』は【おもい】で『チョウ』は【かさねる】なので『重用』は『ジュウヨウ』で『重複』は『チョウフク』が正しい。」という様な言説を目にすることがあります。しかし先に述べた様に,「ジュウ」と「チョウ」は呉音と漢音の違いで,これ(だけで)(破音ではない)ただの多音なので,本質的に意味の違いがあるとは言えません。実際,「五重塔」は【かさねる】なのに「ゴジュウノトウ」と,「貴重」は【おもい→おもんじる】なのに「キチョウ」と読まれることが多いです。

  呉音と漢音,また慣用音などの読み分けは,元来「層」に依存したものです。つまり,たとえばかつて多くの寺院などでは呉音が使われていて,その名残りとして今でもほとんどの仏教用語は呉音で読まれている,といった様なものです。ただし,もともとは「仏教用語だから」呉音で読まれていたのではなくて,単に寺院ではすべて呉音で読むものだったから仏教用語も(寺院では)必然的に呉音で読まれただけ,というのを間違えてはいけません。それが,いまの「呉音や漢音といったものを意識しないで,あるいはこだわらないで,そのままの読みで読む」という慣習によって逆に「読み分け」が成立しているとい言えるでしょう。

 

  なお,「呉音や漢音などはただの多音なので本質的に意味の違いは無い」と言いましたが,これはあくまでも本来の話であって,たとえば【おもい】に「ジュウ」が,【かさねる】に「チョウ」が専ら使われることが慣習化することによって,二次的に意味の違いとして定着すると言ったことは十分にありえます。いまのところ,そうはなっていない様ですが(それが慣習化しているのなら「重用」が「チョウヨウ」と読まれることはないでしょう)。

 


「荒らげる」

  訓読みなんて知りません。好きにしてください。

  ……一往,《日国》には「あららげる」で出ますし,また「あらげる」は「あららげる」から変化したものと言っていますから,それに従えば「あららげる」なのでしょう。

  といっても,それは言葉としての話で,こっちは表記(の読みかた)の話です。なので「あららげる」を意図して「荒らげる」と書いてあるものについては「あららげる」が本来だと言えますが,「あらげる」を意図して「荒らげる」と書いてあるものについては,少なくとも読みかたは「あらげる」が本来でしょう。つまり,「荒らげる」だけではどっちが本来かわかりません。……ほら,訓読み滅ぼしたいでしょう?

 

  ちなみに「送り仮名」というものは,今でこそ言葉が活用で変化する部分を仮名で書いて……と割と決まっていますが,むかしは全然そういうことなくて,かなりテキトーに書いていました。なので送り仮名で判別するのもやっぱり無理です。ホントやめろこれ。

 

 

「漏洩」

⟨漏⟩

盧候切 lù,呉音 ロ,漢音 ロウ

⟨洩⟩

餘制切 jièi,呉音 *エイ,漢音 エイ
私列切 siet*7,呉音 *セチ・*セツ,漢音 セツ

 

  ⟨漏⟩ は単音ですが,⟨洩⟩ は残念ながら多音です。しかも jièi/siet は日本語漢字音にちゃんと違いが反映されるタイプなので,しっかり検証しなければなりません。

  といっても,これは簡単です。siet の方は【もれる】とかいろいろと意味がありますが,jièi の方は固有名詞(ここでは地名と苗字)と「洩洩」という言葉にだけ使われる音なので,ここでは自明に siet だとわかります。

  で,対応する漢音をあわせて「ロウセツ」です。

 

  ところで siet の対応する呉音を 2 つ書きましたが,EMC と日本語漢字音,特に呉音との対応関係は,なにぶん(はじめは)耳でうつしたものですから,この「セチ・セツ」の様な「揺れ」があることがあります。仕方ないですね。

 


「白夜」

⟨白⟩

傍陌切 brak,呉音 ビャク,漢音 ハク

⟨夜⟩

羊謝切 jià,呉音 ヤ,漢音 ヤ

 

  両方とも単音なので,自明に漢音は「ハクヤ」です。やったね。

 


「矜持」

⟨矜⟩

巨斤切 giən*8,呉音 *ゴン,漢音 *キン
巨巾切 grin*9,呉音 ギン,漢音 キン
居陵切 kiəŋ,呉音 コウ,漢音 キョウ

⟨持⟩

直之切 driə,呉音 ジ,漢音 チ

 

  ⟨矜⟩ が多音字です。giən と grin は両方とも【ほこのえ(矛の柄)】で,kiəŋ は【あわれむ】とか【つつしむ】とか【ほこる】とかいう意味です。「矜持」は自負とかそういう意味なので,この場合は【ほこる】で kiəŋ になります。ところで,「ほこのえ」と「ほこる」とで日本語もなんか意味深ですが,なにか関係あるんですかね。

  ともかく,あとは ⟨持⟩ は単音字なので,そのまま漢音を合わせて「キョウチ」となります。

 

 

まだまだあるんでたぶんつずきます。

 

 

参考文献

佐藤進、浜口富士雄. (2011). 《全訳漢辞海》第 3 版. 戸川芳郎 監修. 三省堂.

陳彭年. (1008).《大宋重修広韻》.

—— (1013).《大広益会玉篇》.

商務印書館編輯部. (2015).《辞源》第 3 版. 商務印書館.

商務印書館、小学館. (2016).《中日辞典》第 3 版. 小学館.

小学館国語辞典編輯部. (2005).《精選版日本国語大辞典》. 小学館.

王仁昫. (706).《刊謬補欠切韻》.

*1:三国時代あたりから清代までよく使われた漢字音表記法です。《広韻》はこれを使って EMC 音を記述しています。現物にはこれで書いてあるということ以外あまり気にしなくていいです。

*2:わたしの作成した EMC 音表記法です。これで(わかりにくい)反切をラテン文字で記述しています。読みかたについては特に気にしなくていいです。

*3:「意味と音が違う」というのはつまり「言葉が違う」ということです。また,「同じ漢字が意味の違う複数の音を持つ(同じ漢字が複数の言葉を持つ)」という言いかたは漢字を中心にしたものですが,実際は前記事で述べた様に言葉が字に先行するので,「複数の言葉が同じ漢字で書かれる」の方がより正しいです。

*4:ちなみに「重用」の「重」の EMC 音は調べると dryóŋ とわかります。なぜか《漢辞海》は dryòŋ- だと主張しているんですけれども,なんでですかね。

*5:たまに,《広韻》とかに載っていない音が正解だったりすることもあるんで,そこは気をつけなければいけないです。

*6:もしくは,呉音で読んで「ジュウユウ」。まぁ強引な漢音至上主義に走らなくても,とにかく少なくとも 1 つの言葉の中で呉音漢音を混ぜるのは明らかに本来ではないです。

*7:実際の《広韻》には siet のところに ⟨洩⟩ は無いのですが,⟨洩⟩ は ⟨泄⟩ の異体字で,そっちはあるので問題ありません。昔の人は割といい加減なのでそういう「もれ」はよくあります。

*8:⟨洩⟩ の siet と同様に,《広韻》の giən のところには異体字の ⟨⿰矛堇⟩ で載っています。

*9:giən と事情は同じなんですが,⟨⿰矛堇⟩ で載っているついでに,kiəŋ のところに又音(他にこんな音があるよ,という記述)としても載っています。じゃあ最初から grin のところに ⟨矜⟩ で載せて欲しかったなキミ。

「漢字の本来の読み方」とはなんなのか?

みんなだいすき「本来」

  公元 2018 年 09 月 03 日,ネットニュースサイト「ねとらぼ」にて,つぎの記事が掲載されました。

nlab.itmedia.co.jp

  この様な,「ある漢字に対してその読みがどうこう」といった記事や話題は,特に珍しいものでもなく,多くの人が一度はなんらかの形で目や耳にしたことがあるでしょう。日本語話者の多くが,普段から身近なものとして常用している言葉や漢字ですが,これに対する関心の高さが伺えます。

  さて,「ねとらぼ」の記事には「漢字の本来の読み方」とあります。ここで,「本来」とは,本来「正しいかどうか」ということではなく単に「大本はそうだった」ということを意味しますが,これはもはやきちんとその旨を説明しないかぎり詭弁とも言え,実際には当該記事につぎのごとくある様に,一種の「正しさ」の基準として捉えられることが多いのが現状です。

言葉は時代とともに変化するもの、といわれるように、漢字のなかには本来の読み方とは別に、「慣用的な読み方」を持つものがあります。これは誤読が広まることなどによって、新しい発音が定着したもの。「“本当は”間違った読み方なのだから直すべき」と指摘されることがある一方、もはや本来の読み方以上に定着してしまっているものもあります。

  これについて説明は端折りますが,「本来の」だからといってそれが正しいわけではありません。「本来の」ではないからいって,「“本当”は間違った……」などと言うことも全くできません。「本来はそう」でも今では間違いなものもあるでしょう。なので,当該記事で「漢字の本来の読み方」について「現代人には分からない」なんて言われても,「あっそう。今は違うんだよ本来人さん。」で話が終わります。豆知識にはなりますけれども。

 

  ですが,「漢字の本来の読み方」ついての話題は,もう 2 つ重要な問題を抱えています。

  1 つは,「本当にそれがその『漢字の本来の読み方』なのか?」という,ある程度の人が疑問に感じるであろう点。こちらについては,辞書を引きまくるなり用例を探しまくるなりすればなんとかなります。まぁ辞書というものはちゃんと分かっている人が引かないと間違えまくるものなので,そこはつらいですけれども。

  もう 1 つは,「そもそも『漢字の本来の読み方』とはなんなのか?」という点です。そしてここでは,その問題について焦点をあてたいと思います。

 

漢字ってなんなの 

  「漢字の本来の読み方」について理解するには,まず「漢字」と「漢字の読み方」とについて,これがなんなのかということを理解しなければなりません。 

  「漢字」は,その起源を短く言えば「中国語を書き表すために作られた表語文字(の体系)」です。ここで重要なのは「中国語」、「書き表すため」、「表語文字」の 3 つです。

 

中国語 shì shénme?

  まず「中国語」は,分類的には漢蔵語族*1漢語派に分類される,ある言語です。「漢語」でも同じです。一般には現代の中国やその他で話されている「現代標準中国語」を指しますが,ここでは古代中国語から現代中国語までなどの全時代の,北方中国語から南方中国語までなどの全地域の,とにかくあらゆる「中国語」の総称です。このとき,個々の具体的な「中国語」のことを「(中国語の)変種」と言います*2

  これらの多種多様な「中国語の変種」をひとまとめにして扱えるのは,ひとえにこれらに全て系統性があるからです。言語は時代によって変化していき,また地域ごとにその変化が異なることで地域によっても違ってくるものです。しかしそれでも同じ言語から変化した言語同士,または変化元と変化先なわけですから,たとえ表面的には違う様に見えても,その体系においては同じまたは通じているところが多いのです(特に「漢字の読みかた」ではそれが顕著です)。

  もちろん,漢字(の体系)の起源は古代にありますから,これを語るときの考慮対象としては古代中国語が大きいです。とはいえこの「古代中国語」も「中国語」と同じ様に幅があるものなので,あまり厳密なことを考える必要はありません。全ての漢字が同じ中国語の変種のもとで生まれたわけではないですから。

  しかしいずれにせよ中国語ですから,「中国語でないもの」は中国語ではないのです。普通に言えば,フランス語や日本語などは中国語ではないということです。これを元の説明に逆説的に代入すれば,漢字は「中国語以外を書き表すために作られた表語文字ではない」ということです。漢字はその起源として,日本語のための文字ではないのです。

 

言うことと書くことと

  つぎに「書き表すため」についてです。ほとんど意識されることがなく,混同されていることが当たり前となっているのですが,「音声言語」と「文章言語」は全く違う言語です。音声言語と文章言語とには多くの違いがあり,全く別の存在なのです。

  しかしながら,わたしたちが音声言語の日本語と文章言語の日本語とを区別することはほぼありません。多少の表現の違い,たとえば音声日本語ではなるべく同音異義語を少なくするだとか,そういう違いは認識したとしても,まず結局は同じ「日本語」という単一のものとして扱います。これは,音声言語と文章言語とに互換性があるからです。この互換性ゆえに,わたしたちは書かれた日本語を読み上げ,言われた日本語を書き上げることができるのです。

  この音声言語と文章言語の互換性を担保しているのが「言葉」の互換性、「音」と「字」との変換性です。音声言語と文章言語とが別物であったとしても,双方に同じ「言葉」が存在して,それを介した音と字とを変換できるのです。

 

  • 音で /ア/ という言葉を字で と書く(音→言葉→字の変換)
  • 字で と書く言葉を音で /ア/ と言う(字→言葉→音の変換)

(本当はここの /ア/ の部分は「言う」ものなんですが,なにぶんこれは文章なので「書いて」表現せざるをえません。まぁ音声ファイルとか貼ればいいんですけれども。)

 

  この互換性,ひとたび成立してしまえば両方向のものなのですが,本来としては音→字の変換から始まっています。少なくともそのはじめとして,文章言語は音声言語からの変換の(つまり「書く」)ために成立したのです。中国語と漢字でもこれはもちろん同じで,漢字は「(音声言語の)中国語を(文章言語の中国語として)書き表すために作られた」ということになります。つまり「読む」というのは,少なくとも起源から見れば逆変換なのです。

 

Logogram

  最後に「表語文字」です。表文字ではありません。表語文字は,端的に言えば「言葉」を表す文字です。

  音と字との変換について「言葉を介して」と言いましたが,これはつまり音と字とが直接に変換されるわけではない,ということです。どの言語であっても(ほぼ)必ず言葉を介しています。

  ラテン文字(いわゆるローマ字、アルファベット)やカタカナなどの「表音文字」は,確かに字母そのものとしては音(だけ)を表しているからこそ「表音」というのですが,文章などを実際に読み上げるときには言葉を介しています。よく「英語の綴りは滅茶苦茶だ」という風に言われますが,現実に英語の文字列(綴り)が使い物にならないということはあまりなく,ちゃんと読めたり書けたりできます(まぁよく間違えられますが)。英語の文章言語が,ラテン文字の文字列によって言葉を表し,それを読んだり書いたりするものだからです。

  表語文字は,そんな表音文字の文字列(綴り)を単独でやる文字と言えます。言葉は(音声言語と文章言語とにかかわらず)「意味」を持っていますから,その点だけを見れば表語文字は意味を表している様にも見えがちなのですが,実際には言葉を(その附属品として意味も)表しているのです。言葉は音声言語だと音で表されますから,結果として字→音の変換,またその逆ができるのです。

 

漢字の読みってなんなの

  漢字は,中国語を書き表すための文字として作られたのですから,読むときは元の(音声)中国語に戻せばいいのです。以上。

  ……とはいきませんね。理由は 3 つです。1 に,元の中国語というのが具体的になんなのか分からない(漢字が体系として成立したとき?具体的にその字母が初めて書かれたとき?ある文章にその字が書かれたとき?)こと。2 に,いくら漢字の起源として本来はそうだと言っても,それ以降もそうだとは言えないということ。3*3 に,いまは日本語の話なので中国語をそのまま適用できないということです。

  1 と 2 については,漢字はそれぞれの言語の「漢字音」で読む,ということがもはや本来のやりかたと言えますから,それを考えるのが 1 番でしょう。3 についても,実はそれが適用されます。

 

漢字音

  中国語についての説明で,その全ての変種に系統性があると書きました。特に,それぞれの「漢字の読みかた(繰り返しますが,厳密には「漢字に対応する言葉の音」です)」については,「A 変種で甲なら B 変種で乙」の様な法則性が非常に多くあります。単純な話,意味や用法などと比べて音はその数が限られていますから,変化も比較的に法則へ従いやすく,またそれを見出しやすいのです。中国語での漢字の読みかた,「漢字音」は,その様な法則の塊なのです。

  このとき,漢字音の比較の基準としては,古代中国語の一種である「前期中古中国語(以下 EMC)」がメインに使われます。中国ではじめての「漢字音ベースの漢字字典」がこの EMC の時代につくられたことと,この時代の代表的な中華王朝「唐」が漢字文化に対して多大な影響力を持っていたこと,またそれのために現存するほぼ全ての漢字音がこの EMC に由来していることなどが理由です。「EMC で X だと現代広東語で Y なんだなぁ。」「EMC で M だと現代上海語で N です。」などと,法則を全ての変種から EMC へつなげていき,また EMC からの法則を見出してしまえば逆に個々の変種の個々の「わからなかった」漢字音に対しても答えが得られる,というわけです。帰納と演繹ですね。

  もちろん,EMC 以前の中国語というのも存在して,まぁ漢字のほとんどはそれまでにできたものなのですが,音もロクによくわかっていないという点や,何にせよ現実的には EMC から演繹すれば十分という点から使われることはないです。現在 hot な研究対象なんですけれども。

 

日本語漢字音

  実はこの EMC からの法則,日本語からも見出せるのです。日本語での「漢字の読みかた」には大きく分けて「音読み」と「訓読み」の 2 種類がありますが,このうち前者はまさしく EMC から変化した「日本語漢字音」です。そして,漢字はその言語の漢字音で読むのが本来ですから,日本語では音読みで読めばいいのです。まぁ訓読みされるもの以外みんなそれで読んでますけれども。

  音読みといっても,そこにはまたいくつかの種類があります。大きく,呉音、漢音、唐音*4、慣用音などと分けられます。特にその音読みの中の「呉音」と「漢音」の 2 つは,その数が多く体系が割と整っていることと,EMC(に非常に近い中国語の変種)から直接やってきた*5もので,EMC との整合性が高いのです。

  呉音と漢音とは(それぞれが別の場で)長らく日本語の正統な漢字音とされていましたので,現実的に本来の漢字音を論ずるときには呉音か漢音かになるでしょう。実際,EMC から演繹したものでない漢字音については「慣用音」という扱いになるのですから。

  またつけくわえれば,792 年の勅に「勅明経之徒不可習呉音発声誦読既致訛謬熟習漢音(要するに呉音をやめて漢音を使え,ということ)」とありますから,これを踏まえれば(正しい)漢音こそが本来の漢字音といえるでしょう。「漢字の本来の読み方」を探るには,いろんな資料からその漢字の漢音を調べ上げればいいのです。まぁ,先にも言ったとおり本来だからなんだということはないので,面白い以外に意味はないんですが。

 

  ところで,日本語に各漢字音が入ってきた当初の(日本語の)音と,現在の日本語の音とではやはり違いますから,それも考慮に入れなければならないと思うかもしれません。しかし実際には当時の日本語と現代日本語とでは別の言語であることと,系統性に由来する継承性があることから,あまり考える必要はないでしょう。いまさら日本語漢字音を声調つきで発音する人もなかなかいませんし。

  あといわゆる歴史的仮名遣いも同じです。まぁどっちにしろ,本来の漢字音だからなんなんだということですが。

 

訓読み滅びろ

  さて,今まで漢字音(音読み)について説明してきました。音読み側は,(全く意味はないですが)EMC から正しく演繹された漢音こそが本来の読みかた,と言えなくもない(言っても意味がないので割とどうでもいい)のですが,日本語の漢字の読みかたにはもう 1 つ,訓読みがあります。本来の訓読みとはどういうものなのでしょうか。

 

  ……実は訓読みは,そもそもそれ自体が本来の漢字の読みかたではありません。なので,自明に本来の訓読みはありません。終了です。

 

  訓読みというのは,漢字(厳密には漢文)に対してその字が「どういう意味か」を日本語の言葉で当てたものです。たとえば “run” という英語の文字列に対して「はしる」という日本語の言葉を当て,それをそのまま読んだものです。しかし “run” という言葉の本来の読みかたは(日本語で言えば)/ラン/ であって /ハシル/ ではないので,話がそこで終わります。

(ちなみに「訓」という言葉そのものが「意味」とか「解釈」とかいう意味です。)

  ついでに,今でこそ訓読みはある程度きまったものの様に扱われていますが,所詮は意味読みですから,本来は意味さえ通ればどう読んだって構わないものでした。「大」という字の訓読みが「おおきい」というのは「大」の意味が「おおきい」である,というだけなので,別に同じ様な意味を表す「でかい」と訓読みしたっていいわけですし,はてには「ビッグ」とか「グランデ」とか読んだっていいのです。訓読みは任意の漢字に対して無限にあるのです(もちろん今そんなことしたら通じないし読みにくいのでやめよう。割と横行してるけど……)

 

  ところで,訓読みで漢字に日本語の言葉を当てるというのは,逆に日本語の言葉に漢字を当てていることにもなりますから,これを応用して本来の漢字と漢文の範囲を超えて日本語を漢字で書くことが広まります。「殿様蛙」なんてのは,別に「殿様蛙」という漢字(列)の意味が「トノサマガエル」だったから「トノサマガエル」と訓読みするのではなくて,「トノサマガエル」という言葉を「殿様蛙」と書くことにしたから「トノサマガエル」と訓読みするわけです。この辺は,漢字が起源として書くためのものだった,という話と通じるものです。

  で,この場合には本来の訓読みを考えることが十分にできます。「殿様蛙」というのは,「トノサマガエル」という言葉を書いた結果なのだから,当然その本来の読みは「トノサマガエル」である,と言えます。いくら本来の漢字音としての漢音が「テンヨウワ」だからといっても「トノサマガエル」より本来度は下でしょう。まぁ別に本来である必要はないので,「PELOPHYLAX·NIGROMACVLATVS」と訓読みしたっていいんですが。やめろ。

 

まとめ

  やはり「漢字の本来の読み方」は悪い文明!!粉砕する!!

  あとどうでもいいんですが,先の「ねとらぼ」の記事などで言っている様な「本来」の読みかたというのは,ほとんどの場合「なんか辞書にそう載ってた」とかそういうのが根拠なわけですが,別に辞書はあんまりそういうこと考えて作られてないので根拠にならないです。「本来」と書いてあっても「いまの読みかたの前の読みかたはそうだった(そのさらに前が無いとは言ってない)」程度のことであることが多いです。ついでに言うと,「ねとらぼ」の記事は「漢音こそが本来の漢字音」と強引な解釈をするまでもなく普通に間違っているものもあります。たとえば「洗浄」が「センデキ」というのは 100 %おかしいです。こっちは詳しいので言いたいことは分かるんですが……それ「洗浄」じゃなくて「洗滌」の話でしょ……。

  人間,“そんなことは言ってない”正しい資料から勝手な解釈で間違った結論を導きだすことはよくあるものです。特に辞書では頻発するので,気をつけたいところですね。まぁ辞書もよく変なこと言ってますけれども……。

 

参考文献

中村雅之(1998)《音韻学入門~中古音篇~》

*1:紛らわしいのでよく勘違いされますが,漢蔵語族、印欧語族など「語族」は言語のグループの一種であって民族などとはあまり関係ありません。人間ではなく言語の分類です。

*2:「方言」とも言えますし個人的にはそっちをよく使いますが,ここでは誤解を招くと思われるのでやめておきます。言語学的には「言語」と「方言」とは抽象と具体くらいの関係で,特にそれ以外の違いはありません。いわゆる共通語も一種の方言です

*3:00:15 “2”から修正

*4:唐音も一往は EMC に由来しますが,直接ではなく,EMC から変化した後の時代の中国語の漢字音がやってきたものです。あまり使われない上に呉音や漢音のがいろいろと便利なのであまり見向きされません。

*5:「やってきた」というのは同時に「(当時の日本語に合わせて)変化した」ということです。そのものがきたわけではないです。